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国史跡出雲国山陰道跡のご紹介 

国史跡出雲国山陰道跡保存活用計画を策定しました

 国史跡「出雲国山陰道跡(いずものくにさんいんどうあと)」の今後の保存・活用の方向性を示す保存活用計画がまとまりました。

 今後、出雲国山陰道跡の保存や活用の基本となる計画です。

保存活用計画書をご覧になりたい方へ

出雲国山陰道跡の詳しい保存活用計画の情報が知りたい方→下記書名をクリックするとダウンロード先にリンクします

 出雲市市民文化部文化財課 2024 『史跡出雲国山陰道跡保存活用計画書』

 

 国史跡出雲国山陰道跡について

 国史跡「出雲国山陰道跡(いずものくにさんいんどうあと)」は、斐川町直江から神氷地内の堀切Ⅳ(ほりきりよん)遺跡、三井Ⅱ(みいに)遺跡、杉沢(すぎさわ)遺跡、長原(ながばら)遺跡にあります。

 出雲市文化財課では、出雲斐川中央工業団地の造成工事に先立ち、2012年度から2年半をかけて造成範囲内の発掘調査を行いました。その結果、切通し工法や切土・盛土工法などを用いて造成された、丘陵の尾根上を東西に縦走する道路跡を発見しました。

 見つかった地点が古代山陰道の推定路線上にあたること、道路幅が全国で見つかった道路跡と同様であること、出土遺物の時期などから、『出雲国風土記』に書かれた古代山陰道の一部「正西道(まにしのみち)」であると推定しました。その後、丘陵の地形測量を行い、現地踏査や発掘調査を行った結果、約1kmにわたって道路跡がその痕跡を留めていることがわかりました。尾根上を約1kmにわたり縦走する古代道を発掘調査で確認したのは全国初で、地形に応じて様々な工法がとられるなど、当時の土木技術を知ることができる重要な遺跡であることから、西側650mが平成30年(2018)2月に国指定、さらに東側350mが令和3年(2021)3月に国追加指定を受けました。 


    尾根上の道路遺構

 当時の復元想定イラスト(出雲市文化財課作成)

ここがすごい!出雲国山陰道跡

『出雲国風土記』の記述を裏付けた古代道

 天平5年(733)に撰上された『出雲国風土記』には、巻末総記に国の東の伯耆(ほうき)国境から出雲国府を経由し、西の石見国境に至る道として「正西道(まにしのみち)」が記されています。今回の成果は、発掘調査成果と『出雲国風土記』の記述が合致したことに重要な意義があります。

古代交通の実態を解明する上で重要な発見

 『出雲国風土記』には、現存する他国の風土記にはみられない軍団や、烽(とぶひ)、戍(まもり)、剗(せき)などの詳細な記述がみられます。風土記が編纂された頃の天平年間初期、日本は新羅と緊張状態にあり、天平4年(732)に山陰道石見国に節度使の鎮所が置かれるなど、新羅を意識した軍事防衛体制が整えられました。天平6年(734)の『出雲国計会帳』には、隠岐国と出雲国との間で烽が試行されたことや、多くの人や文書が石見・節度使の鎮所と出雲国府間を往来したことが記されており、新羅との緊張関係を窺うことができます。

 また、『出雲国計会帳』には国司などの役人が古代道を往来したことが記されています。たとえば、『出雲国風土記』の巻末に勘造者として名がみえる国造・意宇郡大領の出雲臣広島は、天平5年(733)8月に節度使から呼び出されていることがわかります。また、後に出雲国造となる飯石郡少領出雲臣弟山も、天平5年9月に節度使の鎮所から伝馬を使って出雲国府に帰還したことが記されています。

 今回発見した古代道は、まさに情報の伝達を担っていた交通の現場、舞台を示しており、古代交通の実態を解明する上で重要な発見となりました。

古代出雲を貫く古代道

 出雲は、『出雲国風土記』がほぼ完全な形で伝わったことによって、奈良時代の景観が復元できる稀有な地域です。現代の我々が目にする山や野や川について、天平期の人がそれらをなんと呼び、どのような神の姿を見ていたのか、あるいは、そこで採れる果実や薬草、漁(すなど)られる魚介類や海草はどんなものだったか、を知ることができます。さらに、郡ごとに記載された「通道(かよいじ)」の記述と、巻末の道程・駅家・軍団・烽・戍などによって、行政施設と軍事通信施設の配置、およびそれらを連絡する道路網を詳細に把握することができる歴史的な特質をそなえた地域とも言えます。

 『出雲国風土記』に記された諸施設については、出雲国府と神門郡や大原郡の郡家などの行政施設、教昊寺や意宇郡と神門郡のいくつかの新造院、そして意宇郡山代郷正倉などが考古学的調査により解明されつつあります。しかし、これらを相互に連結していた道路網の考古学的究明はほとんど進んでおらず、これらの古代遺跡はいわば「点」として散在するにすぎませんでした。歴史地理的な古代道路線の復元研究はなされてはいましたが、道路遺構という確証を得ることは、これまでほとんどできていませんでした。しかし、今回の杉沢遺跡等における発見は、『出雲国風土記』に「正西道」あるいは駅路とされた古代道のルートを実証するものでした。古代出雲の背骨ともいうべき古代山陰道、その実証的研究という道のりの第一歩が踏み出されたことになります。

 この発見が、それと連続する古代山陰道の路線解明、さらにそれを軸とした出雲国内の道路網の復元へと繋がれば、散在する古代遺跡を星座の如く有機的に結びつけていける点で、はかりしれない意義をもっており、さらに古代出雲の風景を貫く軸線としても大きな価値を秘めています。

発掘調査報告書をご覧になりたい方へ

出雲国山陰道跡の詳しい遺跡の情報が知りたい方→下記書名をクリックするとダウンロード先にリンクします

 出雲市市民文化部文化財課 2017 『出雲国古代山陰道発掘調査報告書』出雲市の文化財報告33

  出雲市市民文化部文化財課 2020 『出雲国古代山陰道発掘調査報告書2』出雲市の文化財報告43

 

地図情報

史跡出雲国山陰道跡

出雲市斐川町直江~神氷

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