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出雲の学校給食の歴史(一中校区)
出雲地域(第一中学校区)の学校給食の歴史について、簡単に触れてみましょう。
旧出雲市域は県内でもっとも早く学校給食が始まった所のひとつで、昭和19年(1944)に今市国民学校(現 今市小学校)で始まりました。
その後戦後の混乱期を経て、現在の一中校区では、昭和33年(1958)4月から今市小学校で、昭和34年(1959)12月から大津小学校で、昭和37年(1962)1月から上津小学校で、昭和38年(1963)3月から第一中学校で給食が始まりました。
このとき各学校で単独に調理場を設けていましたが、施設の老朽化を解消するため昭和47年(1972)5月から小学校13校・中学校5校・幼稚園13園の合計約11,000食を調理する給食センター(現在の第二中の場所)が完成しました。同時に朝山小学校地内の南部調理場が小学校2校・中学校1校・幼稚園1園の給食をまかなっていました。
米飯給食は、昭和48年(1973)12月からアルファ化米によって月1・2回で開始され、昭和53年度(1978)から月3回に増えました。昭和55年(1980)4月から炊飯センターに全面委託し、昭和60年(1985)5月からは週3回になり、これは今も行われています。
一方、南部調理場は昭和49年(1974)4月に給食センターに統合され、1センター方式になりましたが、老朽化が進んだこと、見学や料理教室ができるよう時代のニーズに合わせることなどを目的に、現在の出雲学校給食センターが平成14年(2002)6月に竣工しました。
現在一中校区は、令和2年(2020)8月から斐川学校給食センターで調理を行っています。
※詳しい年表を別添PDFに掲載しています。
(注記)
・アルファ化米:ご飯を急速乾燥させたもの。保存が効く。
(引用文献)
・出雲市議会史編集委員会『出雲市議会史』(平成13年(2001))