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斐川の学校給食の歴史

斐川地域の学校給食の歴史について、簡単に触れてみましょう。

 「斐伊川」という出雲地方で最大の川が流れる簸川(出雲)平野の大部分を占めているのが斐川地域で、島根県内最大の穀倉地帯といえます。その環境から学校給食の歴史にも特徴が表れています。

 斐川地域で最初に学校給食が始まったのは、伊波野小学校(現 西野小学校)で昭和35年(1960)2月10日のことです。昔の牛乳は瓶だった
それから久木小・阿宮小・荘原小・直江小・出東小・出西小と小学校が次々と給食を開始し、昭和39年(1964)に斐川東中・斐川西中が給食を始め、全町で学校給食が実施されました。

 しばらくは全国と同じようにすべてパン給食でしたが、食パン昭和43年(1968)秋「簸川平野のお米を使った米飯給食を進めるべき」との議論が、全国に先駆けて斐川町議会で始まります。
 この後、県や国へ陳情を行うなど積極的に働きかけを行い、昭和48年(1973)11月にはアルファ化米を給食で試行するようになります。昭和51年度(1976)からは全校で米飯給食が始まりました。この熱心な取組みから生まれた米飯給食は、斐川地域ならではの特色です。

給食中

 そして衛生的で統一的なメニューの提供を目的に、学校給食共同調理場の要望が高まり、昭和56年(1981)4月17日から全町3,600食余りを調理する施設ができました。それが斐川町富村にあった旧 学校給食共同調理場です。

 

 それから40年が経過し、出雲市全体の給食のあり方を考え、新しい斐川学校給食センターが令和2年(2020)7月に竣工、8月から斐川地域に加え一中校区にも給食を提供しています。

新斐川学校給食センター


 ※詳しい年表を別添PDFに掲載しています。

(注記)
 ・直江小と久木小が昭和44年(1969)に統合し、中部小となる。
 ・出西小・阿宮小・伊波野小が昭和45年(1970)に統合し、西野小となる。
 ・アルファ化米:ご飯を急速乾燥させたもの。保存が効く。

(引用文献)
 ・斐川町『斐川町史 その後(一)』(昭和55年(1980))
 ・斐川町『斐川町史 その後(二)』(昭和61年(1986))
 

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