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国史跡鰐淵寺境内 史跡関連情報
平成27(2015)年11月20日(金)に開催された国の文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て,国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申され,平成28(2016)年3月1日の官報告示により正式に国史跡となりました。
鰐淵寺の新緑
国史跡へのみちのり
1 指定の対象の名称 鰐淵寺境内(がくえんじけいだい)
2 指定の対象の所在地 出雲市別所町148番外 20筆等
3 指定の対象地域の面積 2,879,482.18m2(約288ha)
4 指定の概要
鰐淵寺は,島根半島の北山山系に位置する山林寺院です。蔵王(ざおう)信仰(しんこう),山林修行の場として古代に開創し,中世には延暦寺(えんりゃくじ)の末寺(まつじ)となり,出雲大社とも強い結び付きを有し,多数の僧坊を構えて繁栄しました。境内は中世の面影をよく残し,中国地方における仏教の中世的展開を知る上で重要な寺院です。
5 国史跡とは
出雲市では,平成25年の国富(くにどみ)中村古墳に続いて12件目の国史跡となりました。
出雲市内の国史跡一覧
出雲市内の国史跡一覧
指定日
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史跡名
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所在地
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大正13.12.9
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上塩冶築山古墳
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上塩冶町
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大正13.12.9
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上塩冶地蔵山古墳
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上塩冶町
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大正13.12.9
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今市大念寺古墳
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今市町
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昭和6.11.26
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宝塚古墳
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下古志町
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昭和12.6.15
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出西・伊波野一里塚
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斐川町 神氷・富村
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昭和32.7.27
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猪目洞窟遺物包含層
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猪目町
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昭和32.7.27
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上島古墳
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国富町
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昭和62.1.8
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荒神谷遺跡
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斐川町 神庭
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平成12.3.30
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西谷墳墓群
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大津町
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平成18.1.26
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田儀櫻井家たたら製鉄遺跡
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多伎町奥田儀など
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平成25.3.27
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国富中村古墳
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国富町
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平成28.3.1
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鰐淵寺境内
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別所町
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鰐淵寺の新緑
国史跡へのみちのり
~鰐淵寺調査研究,そして国史跡指定~
昭和38年(1963)
曽根研三氏の文書研究(『鰐淵寺文書の研究』)
(鰐淵寺に貴重な文献史料が多数存在することが明らかとなる。)
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平成9年(1997)
『出雲國浮浪山鰐淵寺』の刊行
(鰐淵寺の歴史過程全体の総括,彫刻・絵画・工芸など寺宝類の網羅的な調査)
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平成21年(2009)度~3年間
科学研究費補助金による総合調査『出雲鰐淵寺の歴史的・総合的研究』島根大学井上寛司名誉教授を研究代表者として実施。(『出雲國浮浪山鰐淵寺』の成果の上に立ってその総括と点検,未解決となっている諸課題の問題解決)
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(出雲市による埋蔵文化財調査)
平成21年(2009)度~5年間 鰐淵寺周辺および境内地の分布調査
平成22年(2010)6 月~11 月 和多坊跡の発掘調査を実施(境内初の調査)
平成23年(2011)5 月~10 月 等澍院南区の発掘調査を実施
平成24年(2012)6 月~10 月 鰐淵寺川南区の発掘調査を実施
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平成25年(2013)7 月~9 月
出雲弥生の森博物館2013 特別展
『もう一つの出雲神話-中世鰐淵寺と出雲大社-』を開催
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平成26年(2014)10 月~11 月
島根県立古代出雲歴史博物館企画展
『修験の聖地出雲国浮浪山鰐淵寺』開催される
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平成27年(2015)1 月~2 月
京都国立博物館特別展『山陰の古刹・島根鰐淵寺の名宝』開催される
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平成27年 3 月
出雲市が『出雲鰐淵寺埋蔵文化財報告書』を刊行
※報告書は販売しています。1冊3,000円(税込み)
詳しくはhttp://blog.canpan.info/izumoyayoi/archive/510をご覧ください。
報告書のダウンロード先
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/19730
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※報告書は販売しています。1冊3,000円(税込み)
詳しくはhttp://blog.canpan.info/izumoyayoi/archive/510をご覧ください。
報告書のダウンロード先
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/19730
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平成27年 7 月
出雲市が文化庁へ国史跡指定の意見具申をおこなう
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平成27年 11 月
国の文化審議会で国史跡の答申
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平成28年(2016)3月1日
官報告示により正式に国史跡となる
浮浪滝と蔵王堂
鰐淵寺の歴史
鰐淵寺はもと鰐淵山と称し,智春(ちしゅん)上人の開基とされ「推古天皇の勅願」により推古2年(594)に開創されたといわれます。寺の名前は,浮浪滝で上人が誤って滝壺に落とした器を「鰐(わに)」がくわえてきた,という伝承から来ています。
和多坊跡
等澍院南区
鰐淵寺川南区
官報告示により正式に国史跡となる
浮浪滝と蔵王堂
鰐淵寺の歴史
鰐淵寺はもと鰐淵山と称し,智春(ちしゅん)上人の開基とされ「推古天皇の勅願」により推古2年(594)に開創されたといわれます。寺の名前は,浮浪滝で上人が誤って滝壺に落とした器を「鰐(わに)」がくわえてきた,という伝承から来ています。
古代,鰐淵山は浮浪滝を中心とした修験の道場であり全国的にも著名な信仰の場として発展しました。12世紀に入ると境内に堂塔・僧坊が建てられ,比叡山延暦寺の末寺として浮浪山鰐淵寺が成立しました。かつては本尊を千手観音菩薩とする北院と,薬師如来とする南院とに分かれていましたが,室町時代に両本尊を並べて祀る根本堂を創建し,両院が統一されました。また,杵築大社(出雲大社)の祭礼に参加するなど,強いきずなを持ちながら大いに繁栄しました。
戦国期には尼子氏や毛利氏の干渉により,寺領が減少し,また江戸時代前期には杵築大社との関係も途絶えてしまいます。 以後,その規模もやや縮小しましたが,1400年もの長い歴史を今に伝え,数多くの文化財が残されている山陰随一の古刹,それが鰐淵寺です。
江戸後期の絵図
発掘調査
出雲市では,平成22~24年度の3か年をかけて境内の発掘調査を行いました。
江戸後期の絵図
発掘調査
出雲市では,平成22~24年度の3か年をかけて境内の発掘調査を行いました。
和多坊跡 発掘(1)
和多坊は,毛利元就が心酔した栄芸など傑僧を輩出した鰐淵寺の中心僧坊です。平成22年度(2010)に発掘調査を実施し,3回にわたる造成の痕跡や多量の陶磁器などを確認しました。今でも地表には,明治38年(1905)に焼失した建物の礎石が並んでいます。調査により,この建物は18世紀に建ったと推定されました。和多坊跡
等澍院南区 発掘(2)
平成23年度(2011)に発掘調査を行い,柱穴や据え付けられた備前焼大甕などが見つかり,僧坊の跡と分かりました。和多坊同様,3回の造成で広げた平場に建物が建っていましたが,16世紀に焼失し,そのまま再建されずに今日に至っていることがわかりました。等澍院南区
鰐淵寺川南区 発掘(3)
鰐淵寺川の南側にあり,浮浪滝へ行く途中にあります。平成24年度(2012)に発掘調査を行い,建物の柱穴が確認できました。さらに,戦国期の洪水のあとや「天王」と刻まれた土器や墨書土器などが見つかりました。また江戸の絵図に描かれた「浴室」の痕跡を確認しました。鰐淵寺川南区
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地図情報
鰐淵寺
鰐淵寺