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 2 五つのお宮と伝説  1 遺跡や歴史のあしあと
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  真幸社     
    1 西谷町内に鎮座する「真幸社」(まさきのやしろ)です。
      氏子は、西谷町内の住民です。

 
 
  祭神は大国主神(おおくにぬしのみこと)(出雲大社分霊)。明治32年(1899)ごろ西谷町及び付近に伝染病が流行したので、町内有志の提唱で、神徳によりこれを防ぎたいと出雲大社の分霊を勧請して信仰した。その後、現在地に祠(ほこら)を建て「真幸社」と命名、昭和23年(1948)拝殿の改築、鳥居建立、神社形態様式に整えた。
  例祭日は、11月1日。
 (パンフレット「上津見てあるきー斐伊川が育てたロマンー」から)


  河内神社   
      2 延畑町内に鎮座する「河内神社」(かわちじんじゃ)です。 
        
氏子は、延畑町内の住民です。

 
 祭神は、木花開姫命(このはなさくやひめのみこと)である。出雲国風土記にも記載があり、河内郷の総社であった。
  申し伝えによれば、畿内の河内より勧請したので河内明神と称していたという。斐伊川の洪水の時に畑総本家(屋号宮脇)が守護神として、居宅近くへ鎮座したとも言われている。明治44年(1911)上郷神社に合祀されたが、昭和23年(1948)旧鎮座地に奉還再建された。
  例祭日は、11月1日。



                    (パンフレット「上津見てあるきー斐伊川が育てたロマンー」から)

              
 
  金山神社   

      3 和久輪町内に鎮座する「金山神社」(かなやまじんじゃ)です。 
        氏子は、和久輪町内の住民です。
   
  祭神は、金山彦之命である。創立は不詳なるも、古老の伝えるところによれば、「応仁年中(1467〜1469)の創建で、後に弘治年中(1555〜1558)上之郷城主祈願のため改造再建したものである」という。明治44年(1911)上郷神社に合祀されたが、昭和23年(1948)旧鎮座地に奉還再建された。
  例祭日は、11月5日。


            (パンフレット「上津見てあるきー斐伊川が育てたロマンー」から)
  上郷神社  

 
     4 上島上ゲ町内に鎮座する上郷神社」(かみのごうじんじゃ)です。
      氏子は、森坂、丸ケ谷、奥井谷前、奥井谷上、中央、三田谷、上島上ゲ、大谷の
      各町内住民です。


  主祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)、奈良県桜井市大神神社(おおみわじんじゃ)から勧請(かんじょう)したといわれる。建久元年(1190)創立を伝えるも不詳である。社記によれば、上之郷城主越前守の産土神(うぶすなのかみ)にて「神鏡の寄付有之」と記されている。当時、上之郷城主も信仰の厚かったことがうかがわれる。
  神社は当初、杉村神社と呼ばれていたが、明治43年(1910)上郷神社と改称した。
  例祭日は、7月19日と10月19日。


               (パンフレット「上津見てあるきー斐伊川が育てたロマンー」から)




 
   船津神社  
     5 原町内に鎮座する
「船津神社」(ふなつじんじゃ)です。
       氏子は、菅原、原、船津上ゲ町内の住民です。


  主祭神は、豊王彦命(とよたまひこのみこと)で、この神社はもと海童神社といい、文正年中(1466〜1467)の創建と言われている。雲陽誌には龍王神社とある。古老の伝えによれば「昔このあたりが入海(いりうみ)の時、毎夜当社殿より星の如き光が海上に出入りした」という。明治43年(1930)丸山神社と合祀、船津神社と改称した。
  例祭日は、7月22日と10月22日。


                     (パンフレット「上津見てあるきー斐伊川が育てたロマンー」から)

  さわりが池(いわだんさん)   
        6 大谷町内にある「さわりが池」です。

  この深淵(しんえん)は、古来から幾度となく襲った斐伊川の洪水のたびに姿をかえながら形成されたもので、神秘なたたずまいを見せている。
  池の守り神は「龍者(りゅうじゃ)」といわれ、その昔、仁多郡三沢城主のお姫さんが出雲大社へ参拝の途中、この淵に沈み龍者に姿を変え、主(ぬし)になったと伝えられている。水中には大きな岩の棚があるといわれ「岩棚(いわだん)さん」ともいう。
  山上には、上之郷城との連絡上、築城されたと想定される畑ノ前城跡があり、ここからは遠くに斐伊川の源流である船通山に山々が望まれる。


              (パンフレット「上津見てあるきー斐伊川が育てたロマンー」から)
 
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