河下台場跡(かわしもだいばあと)

河下台場跡1  河下台場跡2
文久3年(1863)に築造され、設計図も残っている。西台場と東台場の2基から構成されており、西台場は、扇形で長さ65メートル、幅14メートルある。東台場は、浜にななめに作られており、長さ30メートル、幅13メートルある。設計図と台場そのもの両方が残っている重要な史跡である。
河下には、寛政11年(1799)に釜屋谷台場が築造されているが、現在は残っていない。
また、それ以前に享保3年(1718)7月12日に河下へ外国船が来航した。河下から連絡を受けた松江藩は、直ちに役人や藩士を派遣し、7月14日には大砲を打ち込み、弾は帆柱に命中し、外国船は撤退した。