1732年西日本各地は大凶作で、およそ97万人が餓死。
大森銀山の代官、井戸平左衛門が薩摩から来たお坊さんの話を聞き、芋の種を取り寄せて栽培を普及させ食糧にしたおかげで、たくさんの人が助かった。代官に感謝して長浜神社の山にも記念碑が建てられている。