絹紡ぐ長浜の産業革命の父曽田冶右衛門
1848年荒茅に生まれる。製紙伝習所を自宅内に設け、蚕の飼育、桑園経営を指導し、養蚕の普及に努めた。また、製糸工場を造り、1898年頃には百人を超す女子工員が働き、たくさんの絹糸を生産し収入を得た。なお、初代村長として村の反映に尽くした。