塩冶判官高貞の墓                                      
「仮名手本忠臣蔵」でも知られた塩冶高貞は、頼泰の孫で七代目の守護であったが、妻が絶世の美女であったため、高師直は高貞の妻を奪おうと欲し、足利尊氏に対し「高貞に謀反の恐れあり」と讒言したので、尊氏は高貞追討を命じた。
高貞は妻子が播磨の陰山で既に死亡したと聞き、宍道に於いて馬上で自刃して果てた。
                      
   
   
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