年 |
出来事 |
昭和02年 |
塩冶村の人口3,890人。一畑電気鉄道・出雲今市-一畑間電化。 |
昭和03年 |
全国農民組合島根県連合会が結成される。満州事変が起こる。 |
昭和04年 |
県内で小作争議が発生する。今市実業学校から今市農商学校に改称。 |
昭和05年 |
世界恐慌が日本に波及し「昭和恐慌」と呼ばれる。農山魚村の窮乏。 |
昭和06年 |
山陰線・京都-下関間が全通する。塩冶村長に加茂豊七。 |
昭和07年 |
県道・出雲-三次線の郡是前-上塩冶半分間が新設。須佐線開通。 |
昭和08年 |
塩冶小学校校歌が制定される。 |
昭和09年 |
島根県繭検定所が塩冶村に設置される。 |
昭和10年 |
塩冶村立青年学校が小学校に併設される。 |
昭和11年 |
二・二六事件が起こる。 |
昭和12年 |
原石鼎が自選句集「花影」を刊行。塩冶神社の弊殿・拝殿が修復。 |
昭和13年 |
大社宮島鉄道が出雲鉄道に改称する。国家総動員法施行。 |
昭和14年 |
塩冶小学校南校舎が新築される。山陰地方は大旱魃。米穀配給統制。 |
昭和15年 |
生活必需品の購入が切符制になる。 |
昭和16年 |
塩冶村などが合併して市制施行出雲市が誕生。太平洋戦争開戦。 |
昭和17年 |
衣料、砂糖、など配給統制になる。県内金属回収はじまる。 |
昭和18年 |
日本軍ガダルカナ島撤退、アッツ島守備隊が全滅する。 |
昭和19年 |
拓青少年義勇軍に塩冶小学校からも3名入隊する。 |
昭和20年 |
浜田部隊が移動して来て塩冶小学校を本拠する。戦争終結の放送。 |
昭和21年 |
自作農創設特別措置法等が制定され小作地が耕筰に売り渡される。 |
昭和22年 |
第1回出雲市長選挙で森山繁樹当選。塩冶地区は、第二中学校区。 |
昭和23年 |
塩冶農業協同組合が発足する。松乃舎病院が県立病院として発足。 |
昭和24年 |
出雲商工高校と出雲農業高校が統合して出雲産業高校となる。 |
昭和25年 |
青年師範学校校舎が第二中学校の校舎になる。養蚕試験場か出火。 |
昭和26年 |
俳人原石鼎、神奈川県にて逝去、神門寺に分骨墓。 |
昭和27年 |
出雲市教育委員会が発足する。 |
昭和28年 |
各地区に出雲市公民館の分館が開設される。 |
昭和29年 |
出雲氏土地改良区が発足。 |
昭和30年 |
国勢調査実施。塩冶地区人口は6,096人。 |
昭和31年 |
出雲市週報一号発行される。 |
昭和32年 |
塩冶神社の拝殿が修復される。市長選挙で布野信忠当選。 |
昭和33年 |
出雲市新庁舎完成する。農林省が中海・宍道湖干拓計画を発表する。 |
昭和34年 |
出雲市が世界連邦平和都市を宣言する。 |
昭和35年 |
農林業センサス実施。出雲自治委員制度発足。 |
昭和36年 |
塩冶地区で613戸加入の農協有線放送電話はじまる。 |
昭和37年 |
県立出雲産業高校が商業高校・工業高校に分離される。 |
昭和38年 |
塩冶自治協会が結成される。市役所塩冶連絡所が廃止される。 |
昭和39年 |
一畑電鉄が立久恵線の廃止を決定する。 |
昭和40年 |
出雲市長選挙布野信忠三選。国勢調査実施塩冶地区人口7,667人。 |
昭和41年 |
塩冶幼稚園が小学校校地内に開園。菅沢工区圃場整備事業実施。 |
昭和42年 |
揚松第一工区圃場整備事業が始まる。 |
昭和43年 |
出雲市営バス廃止(一畑電鉄へ譲渡)。 |
昭和44年 |
出雲市長選挙に久津名等平当選。 |
昭和45年 |
斐伊川・神戸川治水開発に関する予備調査が開始される。 |
昭和46年 |
グンゼ出雲工場が製糸部門を廃止。グンゼメリヤス工場に転換する。 |
昭和47年 |
塩冶公民館が改築される。学校給食センターが塩冶町に開設される。 |
昭和48年 |
島根医科大学を塩冶地区に設置する、と島根県が発表。 |
昭和49年 |
島根医科大学用地の造成工事が開始される。 |
昭和50年 |
出雲市議会リコールが成立する。医科大学が大津町の仮校舎で開学。 |
昭和51年 |
出雲農林高校が天神町から下横町に移転する。難病研究所が設立。 |
昭和52年 |
塩冶有原町にサイクリングターミナルが開設される。 |
昭和53年 |
上塩冶町大井谷と半分で中世の山城跡が発掘される。 |
昭和54年 |
島根医科大学付属病院が開院する。 |
昭和55年 |
海上土地区画整理事業により塩冶有原町ができる。 |
昭和56年 |
塩冶クラブが結成される。新築の出雲市民会館で市制40周年実施。 |
昭和57年 |
区画整理事業により医大南町、神前ができる。くにびき国体が開催。 |
昭和58年 |
塩冶小学校児童数が1,116名となって島根県第二の大規模校になる。 |
昭和59年 |
築山古墳出土円頭太刀から象嵌花形模様が検出される。 |
昭和60年 |
国勢調査実施。塩冶地区の人口12,291人となる。 |
昭和61年 |
塩冶クラブが「写真集・塩冶今昔」発行、「塩冶讃歌」発表する。 |
昭和62年 |
上塩冶町に出雲市隣保館が開館する。山崎山に公園整備が行われる。 |
昭和63年 |
出雲市民文庫5「塩冶判官高貞」が発行される。 |
平成01年(1/7~)
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塩冶小学校屋体、校舎増築、校庭整備事業が完工する。 |
平成02年 |
塩冶公民館が新築移転する。塩冶判官の墓地が整備される。 |
平成03年 |
有志による「塩冶高貞650年祭」が神門寺で開催される。 |
平成04年 |
市役所週休2日制になる。 |
平成05年 |
塩冶神社遷宮。菅沢ぼたる保存会が結成され、ゲンジ蛍の新里づくり。 |
平成06年 |
盆踊り大会を含めた「第1回・塩冶ふれあい祭り」が開催される。 |
平成07年 |
西尾市長の誕生。国勢調査による塩冶地区も人口14,209人。 |
平成08年 |
郷土著名人遺作展が公民館で開催。七農協が合併いずも農協発足。 |
平成09年 |
塩冶体協が50周年を迎える。 塩冶クラブが出雲市長から感謝状。 |
平成10年 |
JR出雲市駅の高架が完成する。 |
平成11年 |
塩冶自治協会が出雲市へ塩冶小学校二分化を提言する。 |
平成12年 |
塩冶クラブが、結成20周年記念文集を発行する。 |
平成13年 |
「ホタルサッミト出雲」を開催する。市制施行60周年記念式典。 |
平成14年 |
公民館が市長事務局に移り、名称がコミュニティセンターに変わる。 |
平成15年 |
島根医科大学と島根大学が統合する。 |
平成17年 |
新出雲市が誕生する。 |
平成18年 |
土地区画整理事業により築山新町ができる。 |
平成19年 |
国道出雲バイパスの斐川町併川-出雲芦渡間が全線開通する。 |
平成20年 |
上塩冶築山遺跡で弥生時代の人面付土器、四基の円墳が発掘される。 |
平成21年 |
郷土誌「出雲塩冶誌」が発刊される。 |