塩冶町年表    

    

 
 
 塩冶小学校十字校舎 
大正6年
 
 郡是製糸今市工場
 昭和10年
 
 塩冶神社本殿移転工事
 昭和12年
 
 国防婦人会
 昭和15年
 
 塩冶小学校
昭和18年
 青年団芸能大会記念
 昭和21年
 
 晩年の原石鼎夫妻
昭和23年4月2日
 
米坦会 塩冶小学校講堂
  昭和29年
 
 山陰線を下るSL農事試験場本館  昭和38年 
 
島根医科大学周辺築地松植樹
昭和52年
 

島根大学医学部付属病院
昭和54年10月 
 
島根大学医学部付属病院
平成22年10月
 
 
             
      昭和2年から平成21年まで
出来事
昭和02年 塩冶村の人口3,890人。一畑電気鉄道・出雲今市-一畑間電化。
昭和03年  全国農民組合島根県連合会が結成される。満州事変が起こる。
昭和04年 県内で小作争議が発生する。今市実業学校から今市農商学校に改称。
昭和05年 世界恐慌が日本に波及し「昭和恐慌」と呼ばれる。農山魚村の窮乏。
昭和06年 山陰線・京都-下関間が全通する。塩冶村長に加茂豊七。
昭和07年 県道・出雲-三次線の郡是前-上塩冶半分間が新設。須佐線開通。
昭和08年 塩冶小学校校歌が制定される。          
昭和09年 島根県繭検定所が塩冶村に設置される。    
昭和10年 塩冶村立青年学校が小学校に併設される。
昭和11年 二・二六事件が起こる。
昭和12年 原石鼎が自選句集「花影」を刊行。塩冶神社の弊殿・拝殿が修復。
昭和13年 大社宮島鉄道が出雲鉄道に改称する。国家総動員法施行。
昭和14年 塩冶小学校南校舎が新築される。山陰地方は大旱魃。米穀配給統制
昭和15年 生活必需品の購入が切符制になる。
昭和16年 塩冶村などが合併して市制施行出雲市が誕生。太平洋戦争開戦。
昭和17年 衣料、砂糖、など配給統制になる。県内金属回収はじまる。
昭和18年 日本軍ガダルカナ島撤退、アッツ島守備隊が全滅する。
昭和19年 拓青少年義勇軍に塩冶小学校からも3名入隊する。
昭和20年 浜田部隊が移動して来て塩冶小学校を本拠する。戦争終結の放送。
昭和21年 自作農創設特別措置法等が制定され小作地が耕筰に売り渡される。
昭和22年 第1回出雲市長選挙で森山繁樹当選。塩冶地区は、第二中学校区
昭和23年 塩冶農業協同組合が発足する。松乃舎病院が県立病院として発足。
昭和24年 出雲商工高校と出雲農業高校が統合して出雲産業高校となる。
昭和25年 青年師範学校校舎が第二中学校の校舎になる。養蚕試験場か出火。
昭和26年 俳人原石鼎、神奈川県にて逝去、神門寺に分骨墓。
昭和27年 出雲市教育委員会が発足する。
昭和28年 各地区に出雲市公民館の分館が開設される。
昭和29年 出雲氏土地改良区が発足。
昭和30年 国勢調査実施。塩冶地区人口は6,096人。
昭和31年 出雲市週報一号発行される。
昭和32年 塩冶神社の拝殿が修復される。市長選挙で布野信忠当選。
昭和33年 出雲市新庁舎完成する。農林省が中海・宍道湖干拓計画を発表する。
昭和34年 出雲市が世界連邦平和都市を宣言する。
昭和35年 農林業センサス実施。出雲自治委員制度発足。
昭和36年 塩冶地区で613戸加入の農協有線放送電話はじまる。
昭和37年 県立出雲産業高校が商業高校・工業高校に分離される。
昭和38年 塩冶自治協会が結成される。市役所塩冶連絡所が廃止される。
昭和39年 一畑電鉄が立久恵線の廃止を決定する。
昭和40年 出雲市長選挙布野信忠三選。国勢調査実施塩冶地区人口7,667人。
昭和41年 塩冶幼稚園が小学校校地内に開園。菅沢工区圃場整備事業実施。
昭和42年 揚松第一工区圃場整備事業が始まる。
昭和43年 出雲市営バス廃止(一畑電鉄へ譲渡)。
昭和44年 出雲市長選挙に久津名等平当選。
昭和45年 斐伊川・神戸川治水開発に関する予備調査が開始される。
昭和46年 グンゼ出雲工場が製糸部門を廃止。グンゼメリヤス工場に転換する。
昭和47年 塩冶公民館が改築される。学校給食センターが塩冶町に開設される。
昭和48年 島根医科大学を塩冶地区に設置する、と島根県が発表。
昭和49年 島根医科大学用地の造成工事が開始される。 
昭和50年 出雲市議会リコールが成立する。医科大学が大津町の仮校舎で開学。
昭和51年 出雲農林高校が天神町から下横町に移転する。難病研究所が設立。
昭和52年 塩冶有原町にサイクリングターミナルが開設される。
昭和53年 上塩冶町大井谷と半分で中世の山城跡が発掘される。
昭和54年 島根医科大学付属病院が開院する。
昭和55年 海上土地区画整理事業により塩冶有原町ができる。
昭和56年 塩冶クラブが結成される。新築の出雲市民会館で市制40周年実施。  
昭和57年 区画整理事業により医大南町、神前ができる。くにびき国体が開催。
昭和58年 塩冶小学校児童数が1,116名となって島根県第二の大規模校になる。
昭和59年 築山古墳出土円頭太刀から象嵌花形模様が検出される。
昭和60年 国勢調査実施。塩冶地区の人口12,291人となる。
昭和61年 塩冶クラブが「写真集・塩冶今昔」発行、「塩冶讃歌」発表する。
昭和62年 上塩冶町に出雲市隣保館が開館する。山崎山に公園整備が行われる。
昭和63年 出雲市民文庫5「塩冶判官高貞」が発行される。
平成01年(1/7~)
塩冶小学校屋体、校舎増築、校庭整備事業が完工する。
平成02年 塩冶公民館が新築移転する。塩冶判官の墓地が整備される。
平成03年 有志による「塩冶高貞650年祭」が神門寺で開催される。
平成04年 市役所週休2日制になる。
平成05年 塩冶神社遷宮。菅沢ぼたる保存会が結成され、ゲンジ蛍の新里づくり。
平成06年 盆踊り大会を含めた「第1回・塩冶ふれあい祭り」が開催される。
平成07年 西尾市長の誕生。国勢調査による塩冶地区も人口14,209人。
平成08年 郷土著名人遺作展が公民館で開催。七農協が合併いずも農協発足。
平成09年 塩冶体協が50周年を迎える。 塩冶クラブが出雲市長から感謝状。
平成10年 JR出雲市駅の高架が完成する。
平成11年 塩冶自治協会が出雲市へ塩冶小学校二分化を提言する。
平成12年 塩冶クラブが、結成20周年記念文集を発行する。
平成13年 「ホタルサッミト出雲」を開催する。市制施行60周年記念式典。
平成14年 公民館が市長事務局に移り、名称がコミュニティセンターに変わる。
平成15年 島根医科大学と島根大学が統合する。       
平成17年 新出雲市が誕生する。
平成18年 土地区画整理事業により築山新町ができる。 
平成19年 国道出雲バイパスの斐川町併川-出雲芦渡間が全線開通する。
平成20年 上塩冶築山遺跡で弥生時代の人面付土器、四基の円墳が発掘される。
平成21年 郷土誌「出雲塩冶誌」が発刊される。