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塩冶町の紹介
広さ7.9平方キロメートルを占める塩冶町は、昭和16年に出雲市が発足したときの塩冶地区の人口は約5,000人でしたが、昭和50年に島根医科大学が開学したのに
ともない、急速に都市化が進み、平成15年9月には人口14,000人、世帯数5,500世帯となりました。令和4年11月現在は人口15,728人、世帯数7,351世帯となって
います。
「塩冶」は「えんや」と読み、奈良時代に編纂された『出雲国風土記』によると、当時は「止屋」(やむや)と言っていましたが、神亀3年(726年)に「塩冶」に改められました。
また、鎌倉・室町時代には京極佐々木氏が出雲守護職となり、塩冶氏を名乗りました。塩冶氏の三代目が歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に登場する悲劇の武将「塩冶判官
高貞公」です。
なお、近年は島根大学医学部・同付属病院を始め、国土交通省出雲工事事務所、ハローワーク、出雲健康福祉センター、出雲警察署、社会保険事務所、出雲地方合
同庁舎等の事務所が置かれ、また桜の時期は有原公園も賑やかになります。
![]() 島根医科大学周辺築地松の植樹 昭和52年 |
![]() 島根大学医学部付属病院 昭和54年10月 |
![]() 島根大学医学部付属病院 平成22年10月 |
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塩冶マップ
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塩冶町の町並み
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