4月に入って間もないある日、急に思い立って鳶巣山へ登ることにした。目的は花見である。

 といっても、山頂広場の桜は去年植えたばかり。実は登山道の途中から、遙か下界の新川土手の

 桜を眺めようと思い立ったのである。

 以前桜の季節に飛行機の旅をした時、中国山脈を越える辺りで機上より山間の桜を

見たことがあった。それと似た情景がこの登山道から見られることを思い出したからである。

花の雲がピンクの帯を伸ばしたようにくねくねと続く、眼下の土手の桜の素晴らしさ。

その先に出雲ドームがやや遠慮しているように見えた。 新川の桜は植え始められてからもう五十年、

今では各地から沢山の花見客が訪れる名所になった。土手に立つと、桜を愛する人達の温かい心を感ずる。

花芽をついばむウソという鳥の群が飛んでこなかったので、今年の花は特に美しい。

  新川橋から、やや下流にある中組町内に抜ける橋の辺りには、高さが10メートルを超すような

大きな木が何本もある。空をびっしり花が覆っている。花の精がそよ風に吹かれて楽しげに

語らっているように聞こえるのは、小鳥達の囀だ。南側の土手の木の下にはテントが幾つも立ち並び、

花見客の予約の札がぶら下がっている。今日は日曜日でしかも晴天。どのテントも

昼前から宴たけなわ。まさに花の宴である。手拍子に合わせて安来節が聞こえてくる。     

 ひらひらと谷に降る花びら。風にあおられて空に舞い上がって行く花吹雪。

宇宙遊泳のようにしばし空中に漂うものもある。谷川のよどみにはいっぱいの花びらが集っている。

  先ほどの橋からさらに下流の立石電機の裏手の橋の所までは、南側の土手の両側に桜が植えられ、

花のトンネルを作っている。2人の子供に両手を引っ張られた若いお父さんが、川下の方へ歩いて行く。

お母さんはそれをビデオカメラで撮している。この辺りは、家族連れや若いカップル、或いは親しい数人の

グループが歩いたり腰を下ろして楽しむのに適した場所だ。場所と時間によって、花の風情も花見客の

種類もはっきり違うのが面白い。夜になるとボンボリに灯が入り、一段とあでやかになる。

逆に柔らかな日差しの中で身じろぎもせぬ朝桜も、何とも言えない感じだ。 

 土手に沿って走っている国道431から離れて、北山の麓の川北町内から土手を眺める風景も見事だ。

桜並木の無数の枝が空に向かって伸び上がり、逆光の花の雲が今にも天上に舞い上がって行くような感じだ。

車がスピードを落として、のろのろ桜見物をしながら通り過ぎる。観光バスは特にゆっくり走る。   

 南側の前組の裏手の道路から眺める、北山を背景にしたのんびりした田園風景の桜土手もいい。

色とりどりの服装をした人々が行きつ戻りつしているのが見える。

 

  かつて、伊努谷川(通称新川)土手の草むらには、「マムシ」が出没し、被害が多くあったという。

これを見かねた中組町内故山崎武一郎氏(下若宮)は、「桜を植えれば草刈りもするし、住民も花を

楽しみ事が出来るのでは」との思いから、近隣の数人の手伝いを得ながら、桜の苗木30数本を寄付、

植栽したのが、新川桜土手の始まりという。昭和34年のことである。

 この時植えられたのは、新川橋から下流の川北町内より中組町内へ抜ける、旧往還道の橋の辺りまでであった。

その後「もっと植えて桜の名所にしよう」と、中組以外の他の五町内からも苗木が寄贈され、

逐次下流まで植えられていった。

 やがて、西林木全町内で管理することが話し合われ「西林木観桜会」が結成された。

代表の故岡登(晋平)氏は中心となって、献身的に桜の世話をし、会の運営に当たった。

春秋の消毒、急斜面の草刈り、毎年の補植、花見の客の受け入れ準備や片付けと、

仕事は多岐にわたり、毎日が新川の堤の桜の成長と共にあったと言える。

 平成2年には、観桜会代表として日本桜の会より表彰。又、出雲市町づくり賞も受賞。

平成六年には、第6回出雲市ふるさと市民賞を受けている。平成14年3月には、優良団体として

出雲市文化賞を受賞した。この時の賞金で14年度には「新川桜土手」の立派な案内板が

3か所に建てられた。平成14年度からは、鳶巣地区民総てからなる鳶巣観桜会{代表岡位嵩氏)

により管理されている。

 平成15年3月には、県と日本桜の会から、緑化推進事業による良好な河川環境創出の一環として、

苗木100本の寄贈があった。この苗は、鳶巣商工会から、支柱や肥料等の援助を受け、下流両岸と

下水処理場南に植えられた。

 花見のためのボンボリの取り付け、子供達による空き缶拾い、土手や川の中の清掃等、

地区をあげて住みよい環境と桜を守る取り組みが続けられている。

 全長300メートル。郷土を愛した先人や、地区民の熱い思いの込められた270本の桜。

新川土手は、今、県下でも有数の桜の名所となり、ふるさと鳶巣の誇りの一つとなっている。

  この新川土手の桜のように、我々も美しく立派に育ちたい、そして花のように散る時、

是非皆に心から惜しんで貰えるようになりたい、などとふと思ったことである。