大寺1号墳 現地説明会

     平成15年8月3日(日)・快晴

  島根県教育庁埋蔵文化財調査センターでは、出雲地域最古の前方後円墳の一つとして紹介されてきた大寺1号墳の

 正確な大きさや墳丘について、今回、現地説明会がおこなわれました。

 

出雲地方の主要中期古墳の分布

大寺1号古墳の測量図と調査箇所

                                             

                            

             

 

大寺1号墳はその柄鏡を思わせる形などから、出雲地域最古の前方後円墳の一つとして紹介されてきました。しかし、古墳の正確な大きさや墳形は不明なままで、その実態ははっきりと分っていませんでした。

今回の調査では、墳丘の斜面に大小の葺石(ふきいし)が次々に顔を出し、古墳建築当時の姿をかいま見ることができました。

現在のところ、出土遺物がないため築造時期を確定することはできていません。   しかし、葺石の並び方や埴輪(はにわ)が全く出土していないことを考慮すると、この古墳は以前から言われてきたように古墳時代前期後半(4世紀後半)に造られた、出雲地域最古の前方後円墳の一つと考えられるそうです。

(葺石)

古墳の墳丘斜面を石でおおったもの、また

その石のことを葺石と言います。

大和政権を中心に築造が始まった前方後円墳は

葺石を持つのが一般的ですが、葺石のないものも各地で造られています。

葺石有無や石の葺き方は、その古墳の系譜や各

地域の交流を考える上でもポイントになるそうです

 

今回明らかになった大寺1号墳プロフィール

墳 形 :  細い前方部を持つ前方後円墳

全長  :  51m

後援円部径  :  28m

特徴       :  葺石を持つ

前方部2段、後円部2段以上の段築(だんちく):段状構造

埴輪がたてられていない。

                              

 古墳時代前期(3世紀半ば〜4世紀)になると、畿内を中心に全国各地に前方後円墳が造られて行きます。

ところが、同じ頃の出雲地方では大小の方墳が造られ、前方後円が墳造られないという特異な現象がおきて

います。

その後、古墳時代前期後半(4世紀後半)から中期はじめ(5世紀はじめ頃)にかけて、突如として前方後円墳

や円墳が登場してきます。

 大寺1号墳は、出雲西部で最も古い前方後円墳と考えられますが、ほぼ同じ時期に出雲東部では昨年発掘

調査を行った廻田1号墳が造られています。

両者は、規模がほぼ同じでありながら、葺石の有無や、埴輪の有無に全く対照的な様子が見て取れます。

 今後、これらの前方後円墳の検討を通じて、出雲地方における当時の社会体制の実態を明らかにしていく

とともに、各地の前方後円墳との比較検討が進むことが期待されます。 

 


       大寺古墳 (出雲市指定史跡) および 大寺古墳2号墳

 大寺薬師の裏山、比高30メートルの丘陵に築かれている。出雲西部では、斐川町庄原の「軍原古墳」
 「神庭岩船古墳」、の他には類例を見ない5世紀初頭の、いわゆる畿内型古墳として注目されて
 いる。外形、前方後円墳、全長52メートル、後円部の経27メートル、葺石で覆われている。 前方部の
 幅12メートル高さ3メートル。
 内部、後円部中央に、扁平な割石を、小口積にした竪穴式石室がある。  石室の長さ4メートル、
 幅0.6〜1メートル高さ0.6メートル、出土品、鉄斧、鉄鍬など
 現在は、残念ながら環境の整備が不充分なため、木々に覆われて見通しも悪く、古墳の全景も
 確認できない状態である。


     大寺古墳1号墳

 

        
 
 大寺古墳の後円部に接近して築造された古墳であるが、破壊されていて墳形はわからない。
 石室は天井石が外されているが、切石造り石棺式石室で玄室の奥壁は1枚、側壁は2枚宛の
 切石で築かれている。


    大寺古墳2号墳