塩冶神社
塩冶卑毘古命と妻神塩冶毘賣命をはじめ塩冶系5社の外に八幡様とも呼ばれる誉田別命と、悲運の武将と名高い塩冶判官高貞の霊位を祀ってある。
創立年代は余りにも古く 定かではないが神亀3年(726年)に地名を止屋から塩冶に改称していること、出雲国風土記(733)に所載されていること等から少なくとも創立後1260年以上の歴史があり、現在の地名はこの神名によるとされる。