にしだに2ごうぼしゅつど がらすくしろ
西谷2号墓出土 ガラス釧 


数  量 3個1片
指定種別 市指定有形文化財(考古資料)
指定年月日 平成21年6月25日
 所有者 出雲市
文化財所在地 大津町(出雲弥生の森博物館)


概 要
西谷2号墓
 西谷2号墓は、南北36m×東西24m、高さ3.5mの四隅突出型墳丘墓で、突出部を含めると約50mの大形の墳丘墓である。築造時期は、弥生時代後期後葉〜終末で、西谷3号墓の次の時期に築造されている。調査時には、すでに墳丘の約2/3が破壊され、南側に墳丘の一部が残る状況であったが、残丘崖面を調査した結果、墓穴など埋葬施設が確認された。
 西谷2号墓の中心部分は破壊されていたが、幸いに遺物の多くはそのまま廃棄されていたため、墳丘の中心部からは100個体近い土器と、装飾品などが出土した。土器は地元のもののほか吉備の土器など、装飾品は、大陸産のガラス釧4個体、ガラス管玉などである。これらの遺物とともに、棺に塗られていたと考えられる中国産の水銀朱も出土した。
 これらの成果から、西谷2号墓の中心部に埋葬された人は、出雲平野を治めたリーダーであったことが推定される。

ガラス釧
 弥生時代のガラス釧は、西谷2号墓を含め全国の4遺跡で出土している。いずれも、弥生時代後期後半頃のもので、日本海沿岸地域の王墓から出土し、王のアクセサリーであると考えられている。希少価値が高く、貴重な出土品である。
 西谷2号墓のガラス釧は、墓の中心部分の撹乱土からみつかっており、中心に埋葬された人の副葬品と考えられる。14破片が出土しており、接合すると釧3個分と1破片となった。いずれも形状はほぼ円形と考えられ、内径5.7cmと小ぶりである。断面形状は「D」字状をなすが、風化しているため一定ではない。
 表面は風化により白色化しているが、断面からは本来の美しいエメラルドグリーンの色をみることができる。成分は鉛ケイ酸塩ガラスである。釧の表面には、ガラスを引き伸ばした時の筋や接合痕がみられることから巻きつけて製作されたことがわかる。製作地は中国と考えられる。 
 
ガラス釧の破断面