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日御碕神社

 日御碕のバス停留所からすぐの石鳥居をくぐると、緑の老松に囲まれた美しい社殿群が目に映ります。
 日御碕神社は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る「日沉宮(ひしずみのみや)(下の宮)」と素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る「神の宮(上の宮)」からなり、奈良時代に編纂された『出雲国風土記』に「美佐伎社」、平安時代に編纂された『延喜式』に「御碕社」とある古社です。

写真1
 
 日御碕は、平安時代末期(12世紀)に後白河上皇が編纂した歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に「聖の住所(すみか)」のとして登場する修験の聖地です。そこに鎮座する日御碕神社は、戦国時代以降、朝廷や幕府、大名から崇敬を集め、寄進された宝物は社宝として現在まで数多く伝えられています。
 主なものとしては国宝の「白糸威鎧(しろいとおどしよろい) 兜・大袖付(かぶと・おおそでつき)」をはじめ、重要文化財「藍韋威腹巻(あいかわおどしはらまき)」、さらに貴重な古写本として県の文化財に指定されている尾張藩主・徳川義直寄進の『出雲国風土記(日御碕神社本)』などがあります。

 現在の社殿は、日沉宮、神の宮ともに、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命により、寛永21年(1644)に建立されました。両社とも背後には丘陵があり、高低差のある地形を巧みに利用して建てられています。平入の本殿が幣殿(へいでん)を挟み、拝殿に続く権現造(ごんげんづくり)で、同じく家光により建てられた日光東照宮と同じ構造です。ともに朱塗りの社殿で、蟇股(かえるまた)などの彫刻や彩色も鮮やかです。屋根は檜皮葺です。
 江戸時代初期の貴重な建築として、昭和28年(1953)に社殿及び石鳥居が重要文化財に指定されています。

 神の宮(上の宮)

 素盞嗚尊が祀られている神の宮は、現社殿背後の隠ヶ丘(かくれがおか)に祀られていたものを、安寧天皇13年に現在地に遷(うつ)したと伝わります。
  神の宮本殿は、平成25年に屋根の葺き替えと金具補修、塗装の塗直しが行われました。

写真2 
神の宮(奥が本殿・手前が拝殿)

 日沉宮(下の宮)

 日沉宮は、近くの海(清江の浜)の日置島(経島(ふみしま))に鎮座していたものを村上天皇の勅により、天暦2年(948)に現在地に遷したといわれ、天照大神が祀られています。
 日沉宮拝殿は、日御碕神社社殿の中で最大の建物です。内部は上段の間と下段の間に分かれており、古文書によれば上段の間はかつて「神楽所」と呼ばれていたとされます。

 日御碕神社は海に近く、風の影響を多く受ける立地であるため、これまでに幾度となく塩害や大風の被害を受けてきました。平成24年に神の宮本殿、平成25年に楼門が被害を受け、平成25年から28年にかけて修理が行われました。専門家によれば、日本で最も過酷な場所にある国指定建造物であるとも言われています。

写真3
日沉宮拝殿

 日御碕神社の大鳥居

 鳥居は、神域の境界を表す建造物です。バスを降りて、日御碕神社の楼門が見えるところに御影石造りの鳥居が立ち、ここからが神社の境内であることを示します。
 この鳥居は、昔の参道入口の宇龍にありましたが、昭和10年(1935)に現在地に遷されました。
 移転の際に銘文が見つかり、寛永16年(1639)に徳川家光が寄進したものと分かりました。同じく家光が寄進した神社西の清江の浜入口に立つ鳥居と併せて、国の重要文化財に指定されています。

写真4
東の石鳥居
 

地図情報

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