都我利神社 東林木町の氏神
例祭日11月3日
出雲国風土記、延喜式に載る古社、都我利神社は東林木町の鎮座の神社である。延喜式(927)
巻十神祇神名の頃に 「つがりのかみのやしろ」「都我利神社」 と記された式内社である。
また、出雲風土記 (733) 出雲群の項に 「伊農の社」 とあるのが当社であると、風土記研究家
加藤義成氏が指摘している。
(日本古代史による都我利神社の系図)
(日向系) | ----味耜高彦根命 (御祭神)
伊耶那岐命 | |--- 多記理姫-- | |----下光姫
|---- 大日霊甘貴尊 | | (養子) } |---|----事代主命
伊耶那美命 | | | --- 大国主命-- |
|---| |
(大和:出雲系) | | --- 事解命 | | --- 山代日子命
布都御魂 --------- 須佐之男尊 | | --- 倉稲魂命 |--- | --- 木俣神
| --- 須佐理姫-- | | --- 武御名方富命
都我利神社の御祭神は二坐あって、大国主尊の第8王子、味耜高彦根命 と、命の所持された
剣を併せ祀られている。
彦根命は、郡卿、山河、原野にいたるまで、ことごとく平定して、春耕秋穫の農事を教えたので
味耜高彦根命 と言うのである。
|
|
荒神および牛頭像 |
簸川平野一望 |
義民中島治平衛碑
神社裏、裏参道駐車場の上に碑がある。
中島治平衛という人は、東林木町屋号「谷川」 の祖で寛文年間(1,670年頃)の人と思われる。
藩の検地の時、武志境の不毛の地(飴田)について村民の関係者多数が強訴したため、村民多数
が処刑されることになった。 当時、村役人であった中島治平衛という人が名乗り出て、首謀者で
ある事を自首し村民を助け、自身は打ち首の刑に処されたという。
村人はその恩に感じて、氏神境内に石造の廟を建てて祀ったが、昭和4年の遷宮に際し、それに
代わるものとして石碑を建立した。